出西窯
出西窯

出西窯のこと

吉田璋也記念館・
研修館

鳥取民藝美術館だった建物2棟を譲り受け、昭和55年(1980)に出西窯の山側、かつて工房があった場所に移築して、吉田璋也記念館および研修館と名付け、出西窯陶器の見本や参考品を収蔵しています。現在はともに非公開とさせていただいています。

吉田璋也記念館は鳥取市で民藝運動を実践された吉田璋也先生(1898~1972、医学博士、鳥取民藝協会会長)の設計による木造2階建てで、吉田先生考案の意匠が随所に見られます。1階は茶室のしつらえで、2階には出西窯の創業時からの優品を収蔵しています。
また、研修館はもとは鳥取市にあった土蔵で鳥取民藝美術館の一部として使われていました。現在は出西窯の参考品を収蔵し、陶工が陶器を製作する際のお手本となる品物が保管されています。

吉田璋也先生は耳鼻科の名医でありましたが、創業間もない出西窯の陶器作りを指導し、鳥取たくみ工藝店で取り扱って下さった恩人であり、柳宗悦をはじめ民藝運動の指導者たちと出西窯との出会いを作って下さった偉大な民藝のプロデューサーでありました。

無自性碑

吉田璋也記念館、研修館の南側の山すその昭和30年代に登り窯のあったあたりに、昭和62年春、創業40周年を記念して建立された石碑。精神的な導きを受けていました山本空外上人から心の拠り所にするようにと揮毫いただいた文字を刻みました。無自性とは、衆縁に従(よ)るが故に必ず自性無し(人は周りの人や大自然の大きな力のおかげで生かされているのであって、自分の手柄などどこにもない)という意味で、大乗仏教の祖聖竜樹の教えに由来しています。

山本空外上人(1902~2001)は元広島大学教授で哲学者。広島で被爆され、出西窯創業の頃、隣町の現雲南市加茂町の隆法寺住職となっておられました。窯の運営に迷っていた創業同人は昭和25年から空外上人の教えを請い、隆法寺を訪ねたり、窯場にもたびたび来ていただいて、終生出西窯を精神的に導いてくださいました。空外上人からいただいたこの言葉を忘れず、おかげさまの心で仕事することを念じ続けています。