出西窯の歴史
出西窯の成り立ち
出西窯の成り立ち
出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年(井上寿人、陰山千代吉、多々納弘光、多々納良夫、中島空慧)と2人の賛助者の協力によって創業しました。
1950年(昭和25年)7月、共同体の運営に悩みますが、隣町の隆法寺住職で哲学者の山本空外上人を訪ね終生の指導を仰ぐとともに、同年8月には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。
同人共通の願い私たちには世代をこえた共通の願いがあります。
健康なあたたかい暮らしの器作りの願い
- 郷土の土や釉の原料を大切にする仕事。
- 手仕事。手の延長の小機器は利用しつつ。
- 実用の陶。腕を磨いて数多く、安価に。
それぞれを生かし合う温かい集団の願い 無自性(おかげさま)の生活、自戒不裁他。