出西窯
出西窯

お知らせ

2020.07.23
その他

共同体は、無限の可能性がある 研修生体験談

【プロフィール】


陶工 島根 大
島根県松江市出身。1975年生まれ。地元の高校を卒業後、ものづくりの道に進むため岡山大学教育学部で学ぶ。大学4年の研修旅行で出西窯に出会い、夏休みのインターンシップを経て、卒業後、出西窯に研修生として入る。4年間勤務の後、独立を志すが、数年後に出西窯に戻る。再び1年間の独立を経て、10年ほど前から出西窯陶工として作陶に励む。両親、妻、2人の子とともに松江市在住。

・現在の主な製作品:深皿、コーヒー碗皿、土鍋
・やりがいを感じるのは:試作したものが定番品になったとき
・仕事をする上で大切にしていること:初心の「作りたい」という思いを忘れないようにすること


陶工 石橋 雄大
東京都出身。1984年生まれ。高校卒業後、ビルメンテナンス会社に4年間勤務の後、焼き物の道に方向転換する。当初は親方への弟子入りを考えるが、家族と話し合った折衷案として、奥出雲町にある島根デザイン専門学校に入り、2年間陶芸を学ぶ。独立を目指し、出西窯に研修生として入るが、共同体の可能性に惹かれ、出西窯陶工として今に至る。妻と子1人とともに出雲市在住。

・現在の主な製作品:平皿、縁鉄砂平皿、湯呑み、スープカップ、コーヒー碗皿
・やりがいを感じるのは:製作した器を手に取ってもらい、使ってもらい、喜んでもらえたとき
・仕事をする上で大切にしていること:無自性、南無阿弥陀仏

偶然の出会いが、人生のターニングポイント

―ご自身が出西窯に出会うまでを教えて下さい。

島根:私は地元の出身ですけれど、実は研修生として入る1年ほど前まで、出西窯のことはまるで知りませんでした(笑)

石橋:私も、焼き物の道に進もうと決めた当初は、出西窯のことは全く知りませんでした。

―それは少し意外な答えですね。

島根:理系大学の受験に失敗して、自分が本当にやりたいことは何かを考え直したとき、小さい頃から絵を描いたり物をつくることが好きでしたから、焼き物が面白そうだと思いました。それで、陶芸が学べる大学を調べ直して、岡山大学に入ることができ、4年生のときに、ものづくりの現場を巡る研修旅行で訪れた中の一つが出西窯でした。そのとき、共同体でやっている窯元があると初めて知って非常に興味がわき、夏休みにインターンシップで10日間体験させてもらいました。

石橋:私も小学生の頃には紙粘土や折り紙などものづくりが好きでしたが、情報技術系の工業高校を卒業後、パソコンを駆使して仕事をするビルメンテナンス会社に就職しました。でも、自分の中で大きなズレを感じ始め、本当は何がしたいのかを考えたときに、小学生の頃に益子で体験した陶芸が頭に浮かんだんです。それに、千葉の田舎にある祖父母の家での思い出などがあって、田舎の方が性に合っているとも思いました。いろいろ調べて、焼き物の親方に弟子入りしたいと思いましたが、両親とも話し合ってまずは陶芸の学校に通うことになり、4年間勤めた会社を退職して、島根県奥出雲町にある専門学校に入りました。1年生の秋、同級生に誘われて行った「※1炎の祭り」で初めて出西窯を知ったんですが、夕方だったので工房も片付け始めていて、登り窯を見て帰ったという程度で特別な印象はありませんでした。

※1:34年間続いた出西窯恒例の焼きもの祭りで、2017年で終了した。



―お二人ともたまたま知ったわけですが、研修生になる決め手は何ですか。

石橋:2年生の秋に先生から、出西窯が私には合っているんじゃないかと勧められ、タイミング良くインターンに加えてもらいました。その頃の私は、独立する大変さもわかっていて、卒業生が奥出雲で共同窯を持ってやっていたので、それを使わせてもらいながら自分で細々とでも作っていこうと考えていました。インターンのとき、実用食器をなるべくたくさん作るという方向性が自分の考えともかみ合っていることがわかり、もしここで3年間ひたすら作れたなら、その後の独り立ちを考えてもずいぶん自分の力になるだろうと思いました。

島根:私もインターンのときにいろいろ説明してもらい、登り窯は年に4〜5回焚き、灯油、電気の窯もあるから経験を積むサイクルが早いということと、共同体ですからいろいろな人のものが見られて勉強になると思いました。大学に研究生という形で残る方法もありましたが、出西窯なら技術を習得させてもらえる上にお金までいただけると考えたら、すごく有り難いと思いました。

それぞれの研修時代を経て

―研修生の仕事には具体的にどんなものがありますか。

島根:素焼窯や灯油窯は頻繁に出し入れがあるので、その補助的仕事がメインで、調合表に基づく釉薬づくりなどの他にいろいろな雑務があります。

石橋:雑務の具体的なものは、焼き上がった品の高台を磨く仕上げや、粘土運び、棚づくり、薪割り、工房周辺の草取り、登り窯の修繕などいろいろです。

―研修時代の住居など、生活全般はどのようでしたか。

島根:同期の女性研修生2人はアパートを借りていて、私は出西窯の寮に住みました。今は新しい寮ができていますが、その当時の寮は今も残っている木造の古い建物で、風呂は薪で焚く五右衛門風呂でしたから、仕事を終えるとお風呂を焚きながらご飯を作っていました(笑)。ただ、お金をいただいて勉強させてもらえることが有り難いという気持ちが大きかったですから、そういうことは全く苦にならなかったですね。


石橋:私の場合は、当時出西窯が借りていた2階建てのアパートに、もう一人の研修生と1階と2階に分かれて住んでいました。近くにはコンビニなどもありますが、やはり車はあった方が便利です。最初は原付バイクを使っていました。

―石橋さんは研修を終えて、独立ではなく、なぜ残ろうと思われたんですか。

石橋:研修に入って最初に、自分は独立するものだと思っていると話したときに、代表からは「ちゃんとした技術、力がついていたら残ってもいい場所だ」ということを言われました。でも、3年間経ったときに、自分は基本しか学べてなくて、そのまま残ることは安易な選択のような気がして迷い、次の1年間で独立するかどうかの答えを出そうと思いました。その4年目の12月頃に代表から、「一人でやる人はたくさんいるが、共同でやっているところは少ない。共同体でできる可能性を一緒にみつけないか」というようなことを言われ、ここでできる道を探せば、より良いものができるかもしれないと共感したんです。

―島根さんはいかがですか。

島根:私も、技術が全く身についてないと感じたから、お願いしてもう一年いてからやめました。

―独立されたんですか。

島根:いえ、紆余曲折がありまして(笑)。私ははじめから残るつもりはなかったんですが、独立する場所も決まってなかったので、とりあえず旅をしようと。

―自己研鑽の旅ですね。

島根:格好いい表現ですね(笑)。九州、沖縄の窯元や、研修同期生だったオーストラリア人の家に泊めてもらったりした後、岡山で独立しました。でも、2年後にはまた出西窯にお世話になり、再び松江で1年間独立した後、また戻ってきて、今10年ほど経ちます。

根本理念の“民藝”に出会うということ

―研修中のことをもう少し詳しく教えてもらえますか。

島根:私の研修中といえば20年前のことですが、見て覚えるという時代で、それが私には合っていました。結局は自分でやってみないとわからない。多少失敗しても自分で気づいたほうが絶対プラスになると思っています。当時は日中にロクロに座る時間はなくて、時間が空いたら型物の練習をしました。

―研修3年間では技術が身についてなかったと言われましたが、具体的には。

島根:小さなものでも形をそろえて作るという基本や、出西窯の特徴でもあるウエットハンドルを勉強していなかったことなどです。当時は、遅くまで練習して技術を身につけるという、昔気質の職人の考え方が当たり前で、終業後の自分の時間でなければそういう勉強はできなかったと言えば言い訳になりますが、もっとチャレンジすれば良かったです。今はそんなことはなくて、自分で決めた目標をクリアしたら帰宅して、休養もきちんととって次の日もまた頑張るというような、一日の中でのメリハリも重要です。日常生活や生き方も民藝の大事な部分ですからね。



―石橋さんの研修中はいかがでしたか。

石橋:1年目は仕事を覚えるのが精一杯。2年目にはロクロの基本が少しずつできるようになり、窯の雑務もほとんど覚えた頃、夜の自分の勉強時間に何をしたらいいのか迷いが出てきました。当時の私は、仕事をひたすら頑張ろうという考えでしたが、このままひたすら作っているだけでいいのか、どうしたら自分の力を高めていけるのか、その先に本当に独立などできるのか、といった迷いです。それで、工房の2階にあったたくさんの書物や昔の写真などを見る中で、最初にもらった『※2無自性』という冊子をもう一度読み直して、そこに光明があるのではと感じたんです。

―民藝に出会ったんですね。

石橋:※3柳宗悦先生の民藝の教えと、※4山本空外上人の教えが組み合ったところに光があるというか、自分の心をそこまで持っていくことができれば、誰にでも美しいものが生み出せるというような教えに、すごく救われました。深く迷ったからこそ、「無自性」の意味も自分なりに受け止めることができたと思います。


島根:先代たちが民藝の大先生に出会って教わったことは、ものの形の良さだけでなく、出西窯の大事な理念である「無自性」とか「おかげさま」など、生き方に通じるものです。いい器を作って利益を上げる、というだけではない、みんなが日々、「無自性」「おかげさま」に近づこうと、それを目指していることは非常に大きいと思います。先代たちが残してくれた根本精神と、いろいろな人のネットワークの広がりもある出西窯70年の伝統の中に、私たちがポンと入れたのは本当に有り難いことです。

※2【無自性】
仏教の根本思想の一つ「従衆縁故必無自性」(衆縁に従るが故に必ず自性無し)。出西窯は、空外上人からこの言葉を授けられ、「あらゆるご縁の中に生かされているのであり、全てが“おかげさま”であって自分の手柄などあろうはずがない」という教えが根本理念となっている。

※3【柳宗悦(1889〜1961)】
日本を代表する思想家であり、民藝運動の提唱者。日本民藝館初代館長。学習院高等科卒業の頃に『白樺』創刊に参加。東京帝国大学哲学科卒。無名の職人がつくる日常の品の美に目覚め、日本各地を巡って手仕事による優れた工芸品を調査・蒐集する中で、“民藝”の新語を生み出し、民藝運動を開始。1936年日本民藝館開館と同時に初代館長に就任し、以降ここを拠点として、各地への調査蒐集や展覧会活動、執筆活動を行う。晩年は、仏教の他力本願思想による独自の仏教美学を提唱した。(日本民藝館HP参照)

※4【山本空外(1902〜2001)】
浄土宗の僧。哲学者。文学博士。広島市に生まれ、幼少より宗教心厚く、旧制松山高校時代に念仏三昧を成就し霊性の世界に目覚める。東京帝国大学哲学科首席卒。広島文理科大学教授就任中に広島で被爆し、同年9月京都・知恩院にて出家得度。47年5月、島根県大原郡加茂町の隆法寺住職となる。53年広島大学文学部哲学科主任教授に就任。66年定年退官し名誉教授となる。以後、全国各地での念仏指導と著述に専念。『無二的人間の形成』を掲げ、伝導の生涯を送る。89年開館の空外記念館には、身辺で愛用した文物や蔵書などとともに自己作品を収蔵する。(空外記念館HP参照)

自由な空気と、共同体の可能性


―陶工を目指す方、一緒に働く研修生へのアドバイスを。

石橋:やり続けることです。やり続けたら着実に力がついてきます。結局は続けられるか続けられないかだと思います。そして、朝礼の時になぜ「仕事のうた」をうたうのか、終礼の時になぜ「南無阿弥陀仏」を十念するのか、売り場がなぜ「無自性館」という名がついているのか、そういったことを考えて自分の中に落とし込んでほしいです。私は迷うことができたから、民藝の教えを根本的な生き方だと捉えることができたように思います。

島根:そうですね。そして、様々なことに興味を持ってほしいです。私は出たり入ったりしたことで周囲には迷惑をかけましたが(笑)、得たものも大きかった。決して出戻りがいいというつもりはないですけれど、出西窯に居続けながらも、狭い世界にいるのではなく、例えばコンサートを聴きに行くとか映画を見るとか、そんなプライベートの感動も、回り回って作るものに反映します。また、複数の職人がいるため、同じことに対して人によっては違うことを言う場合もあり、どちらの言うことを採用したらいいのか迷うこともあるかも知れません。でも、迷うこともプラスになります。自分なりによく考えて行動してほしいです。

―ご自身のこれからの展望はいかがですか。

石橋:技術を高め、作ることができる形の幅を増やすことです。これには終わりがありません。現在は、急須のような機能的に考える部分が多く、感覚的なバランスも必要なものに取り組みたいと思っています。それと、出西窯に出会う前には、辛い仕事をひたすら頑張ろうという考えしかありませんでしたが、今は、たとえ一人でここから出なきゃいけなくなっても、辛いとは思いますが前ほどの不安はなくなりました。縁あった土地でそれなりにひたすら作れば、その窯に合った新しい形が生まれるんじゃないかと思っています。それにはやはり「無自性」を知ったことが大きくて、空外上人が言われていたように、特別な才能がある“万が一”の人間ではなくても、自分にしかできない仕事ももちろんあって、それが美しいものにもなるという思いで日々仕事をしています。

―島根さんの展望と、陶工を目指す方へひと言を。

島根:日々挑戦すること、それに尽きます。私は先代が作った多少荒々しい感じのものも好きで、時代の要求も大切にしながら、私たちが忘れかけている良さも同時に提供していきたいと思っています。先代の作ったものはやはりパワーが違います。どうしたら近づけるか、追求する楽しさもあります。何百回、何千回やったときに、先輩が言っていたのはこういうことかなと、わかる瞬間があるんですよ。そんな違う風景が見られるのは、やはり意識して続けないとダメです。逆に、どんどん改良していって何十年後に見たとき、最初の方がいいかもしれないと自問自答することもあって、すぐに答えが出ないところがまた面白いんです。これから陶工を目指す方へは、私自身、大学の少しばかりの実習では菊練りもうまくできない状態だったですから、経験の少ない方でもやる気さえあればいろいろ挑戦もできるし、良いものなら早い段階でそれが商品にもなります。職人達が切磋琢磨でき、自由な空気のある職場です。

出西窯研修生募集条件

■契約期間
原則、3年間(1年毎の雇用契約)

■勤務場所
島根県出雲市斐川町出西3368
株式会社 出西窯

■業務内容
陶器の製造およびこれに付随する作業、清掃等 

■就業時間
午前8時45分から午後5時30分まで(休憩時間1時間25分) 

■勤務日
[1] 出勤日
原則、出西窯休日カレンダーによる。ただし業務の都合により他の日と振り替える場合がある
[2] 休日
毎週火曜日、その他会社の指定する日

■所定外労働
自主練習時間とする

■有給休暇
有 出西窯就業規則に基づく

■賃金
[1] 基本賃金  本社規程による
[2] 通勤手当  通勤手当計算規程による
[3] 賃金締切日 毎月15日
[4] 賃金支払日 毎月25日
[5] 控除費目  従業員福利厚生関係負担金 等
[6] その他   寮完備(賃貸アパート等の場合は住宅補助あり)

■社会保険
社会保険完備(健康保険、厚生年金保険、労災保険、雇用保険)

■その他
・契約期間は会社と研修生の合意があれば、この期間を短縮又は延長することができる
・研修生から正規従業員へ登用する場合もある
・寮完備